<この記事で分かること>
- 新藤加菜が、炎上しても自分の発言に問題があったとは考えず被害者面する人間であること。
- 新藤加菜が、炎上して批判されたら、相手を「低知能」などと逆ギレして罵る人間であること。
- 新藤加菜が、いまだに中学の偏差値自慢をしたり、中学の偏差値で他人を判断したりするような、幼児的万能感が抜けきらない幼稚な「子ども大人」であること。
- 自分は何でも許されると思い込み、他人を見下し、平気で噓をつき、都合の悪いことは誤魔化し、反省しないで他人のせいにしたり逆ギレしたりする、幼稚な精神性から脱却できていない新藤加菜は、公人として絶対的に不適格な存在であること。
学習せずにまともや炎上、またもや逆ギレ
前回、新藤加菜が参政党党首の神谷に手紙を渡したという小学5年生を「予後不良」などと呼んで大炎上したことを紹介しました。
>>小5でこの仕上がりなら予後不良。
>>日本語理解できないと辛いぞ、いつまでも搾取される側
>>参政党2世として育つの、結構なカルマ背負ってそうだ。
日本語理解力に関しては「お前が言うな」なわけですが、予後不良とは前回説明した通り、回復が極めて困難であり、競馬用語では殺処分を意味する言葉です。本当に小学5年生相手に酷い言葉使うな。
これには批判が殺到して炎上して、結局は当該ポストを消すことになります。まともな政治家であれば、もし不本意な捉え方をした場合でも
「私の言葉選びが悪かった」
「子どもをバカにしたつもりはなかった。教育と育て方への批判のつもりだった」
などと言うはずでしょう。
しかし、新藤にそんな神経はさらさらありません。いつも通り、
「私は悪くない。悪いのは私の言葉を正しく理解しないバカ共だ」
という発想になるのです。これが公人ですから、呆れ果てますね。
いつも通りの逆ギレし「低知能」と罵倒芸を披露する新藤加菜
一応、新藤は「子どもではなく、教育と育て方の話」などと言い分けしますが、その際も「誤解を招く書き方で悪かった」なんて真摯な態度はなく、「二世という言葉が見えませんか?」と挑発的に返すのです。

「二世」って言ったから何? それで済むと思ってるなら、やはり「日本語理解できないと辛いぞ」という言葉は新藤加菜に向けられねばなりません。新藤には、自分の日本語が相手にどのように受け取られるか考えるだけの理解力がないのでしょう。
もちろん、子どもがそのように育ったのは親のせいに決まっています。しかし、教育と育て方の話をしたかったのなら親の批判になるはずで、まだ判断力が不十分な子供に向かって間違っても「予後不良」なんてセリフは出てきません。
新藤の発言は「子どもに親の思想を押し付けるなんて酷い」というようなセリフではなく、
「小5でこの仕上がりなら予後不良」
「結構なカルマ背負ってそうだ」
ですからね。「予後不良」なんて「この子はもうバカで救いようがない」と言っているのと同じです。教育や育て方に問題があることを指摘する際に、子どもの方を突き放してどうします? 新藤の発言からは子どもを心配したり子供に寄り添ったりする気持ちは微塵も感じられず、ただバカにして突き放す言葉にしか聞こえず、批判を浴びるのは当然です。
しかし、新藤加菜という人間に反省なんて言葉はありません。なぜ投稿を消したのかと問い詰められ、出た言葉がこれです。

>>こういう低知能がうるさいからだよ
ひええええ!!!!!
批判されたら逆ギレして相手を低知能呼ばわり!!!
「反省して投稿を消した」じゃなくて、「低知能がうるさいから投稿を消した」である。
ついさっき、「日本語理解できないと辛いぞ」人間最後はコミュニケーションですからねえ」って言ってたくせに、碌に日本語で正しく意図を伝えることもできず、批判されたら逆ギレして罵倒してコミュニケーションをとることもできない。

日本語能力ない、コミュニケーション能力もないのは、新藤加菜の方ですね。
32歳でこの仕上がりなら予後不良。結構なカルマを背負ってそうだ。
新藤加菜の本質は「幼稚」なこと
新藤加菜という人間はいつもこうです。
「私は常に正しい」
「悪いのは私を正しく理解できない低知能のお前らだ」
という、常人には理解できない超絶自己中心的な思考の持ち主なのです。我儘プリンセスという感じですね。何と言っても新藤加菜は自ら「私は何でも許されるの! それがわかんない人は死ね、今すぐ死ね」とはっきり言っちゃうような人間なのです。冗談ではなく、本気で思ってることが分かります。
精神的にこれほど幼稚な人間を私は他に見たことがありません。そう。新藤加菜という人間の性質をただ一言で表すなら「幼稚」になるでしょう。小さいころから蝶よ花よと育てられて思い通りになってきたために、批判に耐性がなく、嫌なことがあれば「私は悪くない」「悪いのは私を批判する奴らだ」と被害妄想をする。新藤加菜は、そんな幼児的万能感が抜けきらない「子ども大人」なのです。
自分は何でも許されると思ってる幼児性
新藤の幼稚性は、まず自分だけは許されるというダブスタに現れます。自分は平然と「バカ」「アホ」「クズ」「デブ」などと他人を罵倒するくせに、自分が言われると「誹謗中傷されたー」と被害者面するのです。自分の客観視が全くできておらず、新藤のとてつもなく幼稚な精神性がこれだけでもわかります。今でも「自分は許される」と思っているのでしょう。
間違いを認められず、隠して、バレたら逆ギレする幼稚性
新藤は都合の悪いことは隠し、バレたら逆ギレします。いたずらでモノを壊した子供が怒られたくないからそれを隠すのと同レベルです。「チョン」とか「支那」とか差別語を吐き、都合が悪くなれば削除。それが掘り返されれば「私は言ってない。第三者の捏造だ」と大嘘を吐く。都合が悪いことは反省しないで隠し通せればいいと思ってるのです。
間違いが認められず、被害者面で幼稚な言い訳をしまくって、最後は他人のせいにして逆ギレするのはいつものパターンです。今回もそうですね。他にもこのパターンは数多いです。
↓私がデマを吐いたのはテレビ局の報道が悪い、と他人のせいにする幼稚な新藤加菜
↓自分の非を認められず「私は悪くない。私を理解しない奴がバカなのだ」とキレる新藤加菜
自分の狭い経験だけで判断をする
前回まで見てきた偏差値発言が典型例ですね。まともなデータなんてないのに、自分の小さな経験だけで物事を判断する。他にも「お賽銭を投げるなんて日本人の感覚ではありえない」などと無知と偏見丸出しの発言もしちゃいます。むしろ賽銭を投げるなんてごく普通で、神社本庁のHPにだってそう書かれてるのにね。
自分の狭い経験だけで「日本人」全体について語ってしまう。小さい子供が自分の友達数人だけを根拠に「みんな言ってるよ」とか「みんな〇〇してるよ」とかいちゃうのと同じよう知性が抜け切れていないんですね。
思い込みが激しく、日本語が正しく理解できない
これも、自分の思い込みが先行して、言葉を正しく理解できない幼稚性の表れですね。典型的なのがこれ。新藤が不快なナンパ経験を根拠に「路上での声掛けは一律禁止してほしい」と発言。それに対し「ナンパが不快なのはわかるが、一律禁止という発言はいかがなものか」と、新藤の極端な発言に苦言を呈しただけの人を、「性加害容認主義者」と罵倒してしまうのです。日本語力が低いにもほどがありますよね。どういう思考回路でこうなるのか想像もつきません。他にも、ただ「ご意見承りました」という程度の意味にすぎないものを、「自分の意見が正しいと認められた」と思い込んじゃったこともありました。日本語理解力が低劣にもほどがある。
中学の偏差値で他人を判断し、自分は賢いと思い込む
ここは、新藤の幼稚性とその起源が良く表れていると言えます。社会に出れば、就職以外で学歴を気にすることなどめったにないでしょう。しかし、新藤は30歳にもなって、自分の中学時代の偏差値を自慢します。
↓「必死に勉強して校則のない学校に入りました」だけでいいのに、わざわざ「偏差値70」と付け加える新藤加菜

30歳になって自分の中学受験の偏差値を自慢するなんてただの痛い人でしかないですが、新藤はこの年になってもまだ「偏差値が高くてすごいね」と周りが感心してくれる、褒めてくれるとでも思ってるのでしょう。精神が中高生時代から成長していないのです。
さらに、前回の記事でも
「中学受験の難関校に合格して来た、いわゆる基礎学力の高い層」とか
「中学受験偏差値60以上」とか、
中学時代の偏差値を持ち出していました。
31歳にもなって、中学受験の偏差値で他人を判断したり、中学受験の偏差値が高い人が「基礎学力が高い」とか言ったりするって信じがたい感覚ですが、まさにここが新藤の幼稚性の原点なのでしょう。中学受験で成功して高偏差値の学校に受かったために、「私は頭がいい」と思い込み、今でもそれが抜けないどころか、むしろそれをよりどころにして自分を保っているのです。
更には、「学歴がない人は趣旨が理解できずに自分の主張だけをするので分かり合えない」と言ってしまう。「こうした経験から~」と、根拠が自分の狭~~~~~~~~~~い経験であることを堂々と言うけど、それがおかしなことだと気づくだけの理解力さえない。

こんなの確証バイアスでしかなく、
①高学歴で、分かり合える
②高学歴で、分かり合えない
③低学歴で、分かり合える
④低学歴で、分かり合えない
の4パターンで、①と④が優位に多いことを証明しないといけない。自分の信条に合う①と④だけ印象に残るのは経験じゃなくて偏見にすぎない。
そもそも目の前に「高学歴だけど、趣旨が理解できずに自分の主張だけするので分かり合えない」典型例の新藤加菜がいるのだから何の説得力もない。つまり、新藤の「経験」など新藤に都合のいい主観以外の何物でもなく何の意味もないですが、自分が優秀だと思い込んでる新藤は自分の狭い経験に依拠してしまう。この辺も精神的幼稚性が良く表れています。
中学受験成功で培われた万能感が抜けきらず、そのまま大人になってしまったのです。「偏差値が高い=他人より優秀」だと思い込んでしまった。ある意味偏差値教育の被害者ですね。
新藤加菜への提言
新藤加菜には、まず自分のとんでもない幼稚性を自覚するところから始めてもらいたいです。自分が精神的にとんでもなく幼稚である事実を自覚しないと、修正は不可能でしょう。
幼児的万能感を捨て、
「自分は常に正しい。間違ってるのは私を批判する奴等だ」という幼稚な考えを捨て、
「私は何でも許される」なんて幼稚な思考は捨て、
炎上したとき逆ギレしないで炎上した自分の発言におかしなところがないか見つめなおし、
都合の悪い時に誤魔化したり他人のせいにしたり逆ギレしたりせずに反省し、
思い込みで発言しないでまず調べ、
自分の狭い経験で物事を判断せず、
間違えたら素直に謝り、
中学時代に偏差値が高かった、自分は基礎学力が高いんだなんて幼稚な驕りは忘れ、
冷静に他人の話を正確に聞く。
公人以前に、人間として最低限度必要な精神性は身に着けてほしいものです。
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