<この記事で分かること>
- 卒業式で自分の民族的アイデンティティに由来する髪型をした生徒が卒業式に出席できなかった問題で、新藤が自分の中学の時のイキリファッションと同一視する、まるで的の外れた発言をしていること。
- 新藤加菜は他人の理解力を度々批判しているが、新藤こそ自身の理解力を反省すべきであること。
- 他人の価値観への配慮を欠き、物事の本質を理解せずに的外れな発言をする新藤加菜は、決して公人としてふさわしい人間ではないこと。
↓民族的アイデンティティへの配慮の問題なのに、自分の中学時のイキリファッションと混同し、唐突な学力自慢も交えながら的外れな発言をする新藤加菜。
民族アイデンティティと卒業式
まず、こちらの記事をお読みください。

黒人とのハーフの高校生が、卒業式で自身のルーツとなる黒人の伝統的髪型をして出席したところ、出席が認められずに隔離された、という記事です。ただ「校則違反の髪型をした」というのであれば報道されさえしなかったでしょう。問題は、民族的アイデンティティに根差した髪型への配慮の無さです。
この生徒自身がちゃんと説明していなかったのもよくなかったようではありますが、生徒は以下のように述べています。
「『おまえの特別な日じゃない』と言われているようで悔しかった。(髪形は)父のルーツであり、黒人としての文化なのに」
教育委員会は学校の対応を問題なしとしながらも、
「民族のルーツがあると事前に言われていれば対応は違っていた。」
「「生徒側にもっと寄り添った対応は可能だった」
と述べています。

あまりにも的外れすぎる新藤加菜の意見
しかし、ここにとんでもなく的外れな発言をした人間がいます。新藤加菜です。なんと、このように発言したのです。

>>ちなみに私も髪型がどうとかスカートの丈がどうとか言われたくなかった。
>>だから必死に勉強して校則のない学校に入りました。
>>偏差値70の女子学院中学ってところ。
>>中1でピアス開けても中2で髪の毛ブリーチしても、学校は何も言わなかった。
>>写真は中2のわたし。
>>努力してそういう学校選べばよかったんじゃないかな?
これは酷い! 的外れもいいところです。まず、単に「私はファッションが自由な学校に行った。そのような学校を選べばよかったんじゃないかな」と言えばいいところを、「偏差値70」だとか「努力してそういう学校を選べばよかった」だとか唐突な学力自慢。「お前がバカだから悪いんだろ」と言わんばかりです。
しかし、最も問題なことは、何が問われているのか、本質が一ミリたりとも欠片ほどもちっとも全く全然理解できていない点です。
新藤がピアスを開けたり髪の毛をブリーチしたりしたのは、ただの個人レベルの趣味です。誰でもできるし、いつでもやめられる、ただの個人のファッションセンスの問題です。
一方、今回のは本人の民族的アイデンティティが問題になっているのです。これをただの個人趣味のファッションと同一視するのは、文化やアイデンティティの文脈を完全に無視しています。
しかも、今回は卒業式。1回だけの卒業式と、新藤のピアスやブリーチのような普段の学校生活と比べるのもおかしい。実際、教育委員会は
「民族のルーツがあると事前に言われていれば対応は違っていた。」
「「生徒側にもっと寄り添った対応は可能だった」
と言っているわけです。でも、新藤はそういうことには何の関心もないんでしょうね。
もともと新藤加菜という人間は、宗教とか民族とか性自認とか個別のアイデンティティに配慮することに否定的です。だからLGBT法にも反対するし、「性は男と女の2つしかない」って言ったり「トランスジェンダー女性は気持ち悪い」とか平気で発言する。だから自分のイキリファッションと民族アイデンティティの区別もつかないし、つける気もないのです。
他者の価値観が理解できない・配慮できない新藤加菜
これまでも、新藤加菜は他人の価値観を理解したり尊重したりする感覚を欠いた発言を繰り返してきました。夫婦別姓に関しても「どちらの姓にするかすら譲り合えないような関係を結婚扱いするのは不愉快」なんて独善的なことを平気で言うのです。
新藤加菜のルッキストぶりも同様です。自分が「デブ」って言われたら怒るのに、他人には平然と「デブ」と言う。自分が容姿に強い関心を抱いているから、他人もそうだと思い、容姿がよくなければ「自分を律することができない」とか「自分に甘い」とか決めつける。自分の価値観で他人を判断することを繰り返してきました。
今回もそうです。自分の容姿に多大な関心がある新藤加菜は、自分のファッションが認められるかどうかで学校を選ぶんでしょけど、みんながみんな新藤のようにファッションに興味があるわけではありません。まして、今回は普段から黒人由来のファッションをしていたわけではなく、卒業式での話です。卒業式での髪型のことを考えて学校を選ぶ奴なんていないでしょう。
現在、日本には様々な文化的ルーツを持つ人や、多数派とは違ったアイデンティティを持つ人たちがいます。例えば、LGBTの生徒が自分の性自認とは異なる制服の着用を強制されるのは辛いものがあるでしょう。そういうとき「だったら服装が自由な学校に行けばいいじゃないか」と言うのは、問題の本質をまるで理解できていません。これはただ「自由な服装がしたい」という話ではなく、マイノリティに対する配慮の問題であり、だから現在では生物学的男女問わずズボンやスカートを選択することが可能な学校が増えているのです。
宗教や人種や性自認など、個人のアイデンティティに対してどこまで配慮が必要かは、明確な線引きは存在せず、これからも議論していかねばなりません。しかし、民族アイデンティティの髪型と個人の趣味のイキリファッションの区別もつかず、偏差値自慢を振りかざして「努力してそういう学校選べばよかったんじゃないかな?」と相手を見下すような発言は完全に的が外れています。
新藤はこれまでに幾度となく他者の日本語理解力を非難する発言を繰り返していますが、新藤こそ自身の理解力をまずは反省すべきでしょう。「民族アイデンティティに関わらず、生徒は学校の校則に従うべきだ」というのは、私は賛同しませんが、一つの意見ではあるかもしれません。しかし、新藤のように問われていることの本質を理解せずに完全に的が外れた発言をするようでは、政治家としての資質はないと強く非難せざるを得ません。
新藤加菜のように問題の本質を正しく認識できない人間に行政を預けては、日本の行政が歪むことは疑うべくもありません。新藤加菜のような人間が二度と公職に就くことがないよう、我々は強く監視していかねばなりません。
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