<この記事で分かる事>
- 新藤加菜は、立花孝志のデマを確認もせずに拡散した。
- 批判された際にも、新藤はそれを「チャンス」と表現し、炎上を演出として利用する姿勢を見せた。
- 「無関心こそ最大のダメージ」と考えるN国の思想は、注目を集めるためにデマすら利用する反社会的なもの。
- 新藤加菜はアンミカへの「密入国」デマなど、深刻な名誉毀損も平然と行っている。
- 新藤加菜は批判されても被害者を装い、「注目されれば勝ち」という姿勢を改めず、政治家としての倫理を著しく欠いている。
- 民主主義は正確な情報に基づくものであり、新藤加菜や立花孝志などN国関係者の存在は民主主義の脅威である。
デマを批判されても「チャンス」と開き直る新藤加菜
前回記事で、新藤加菜が、自ら「政治の父」と呼ぶ立花孝志による虚偽情報──竹内元兵庫県議が捜査対象であるかのような発言──を、確認もせず拡散していた件を取り上げました。
今回は、当の立花自身が「間違いだった」と認め、新藤も投稿を削除しました。しかし問題はそれで終わりではありません。むしろ、ここからが本質です。彼らは、虚偽を流して批判されることすらも「利用価値のある燃料」として扱っているのです。
削除後、支持者と思われる人物から「立花が心配」といったコメントが寄せられると、新藤はこう返信しました。
>>ロックオンされればされるほど燃え上がるのが立花孝志、ロックオンされればされるほど燃え上がるのが立花孝志、逆境こそチャンスだとおもってうまく演出することでしょう。
— 新藤加菜🐶🇯🇵港区議会議員🌸無所属 (@kanashindo) January 20, 2025
彼にとって1番の痛手は無関心だとアンチは気づくべきですね。
>>逆境こそチャンスだとおもってうまく演出することでしょう。
>>彼にとって1番の痛手は無関心だとアンチは気づくべきですね。
さすが「反社会的カルト集団」と評されたN国と、その愛弟子。デマを流したから批判されているのに、全く反省の色がない。虚偽情報を流して批判されたにもかかわらず、それを「逆境をうまく演出するチャンス」などと言ってのける神経に、驚きと怒りを禁じ得ません。批判も反省も存在しないどころか、炎上すらも自己演出の材料にすぎないと開き直っているのです。
こうした態度は、「反社会的カルト集団」とまで評されたN国の体質そのものです。注目を浴びることがすべてで、そこに真実であるかどうかの意識は一切ありません。むしろ、嘘をまき散らし、それによって騒がれることが「成功」であるとすら考えているように見えます。政治家として、これ以上ないほどの堕落した発想です。
新藤によれば、「立花にとって一番の痛手は無関心」だそうです。つまり、デマであろうが何だろうが、人々の関心を引ければそれで良いのだという思考です。そんな歪んだ思想が、政治の場でまかり通っていいはずがありません。
では、社会が「無関心」であったらどうなるでしょうか。虚偽情報が放置され、事実のように一人歩きし、取り返しのつかない被害が広がります。実際に新藤加菜はアンミカに対して「密入国」という、完全な名誉毀損デマまで平然と流していました。良心があるなら、そんな発言は到底できるはずがありません。

そのときも新藤は「オールドメディアによる偏向報道」の「被害者」であるかのように振る舞っていました。だが実際には、
デマを流す
批判されない→デマがどんどん拡散される
批判される→被害者面して、炎上商法で注目を集める「チャンス」にする
という、どちらに転んでも「得をする」構造で動いています。ろくに調べもせずに虚偽を拡散し、批判されても「チャンス」として活用する。その姿勢には、デマを悪とする倫理観が一切ありません。
これが新藤加菜という人物の本質です。こんな人物が政治家であり続けるならば、今後どれほどのデマがばらまかれ、どれほどの人々が傷つくか、想像するだけでぞっとします。
立花孝志、新藤加菜、そしてN国関係者は、政治家としての資格を根本的に欠いています。民主主義は、正確な情報と誠実な議論によって成り立つものです。虚偽と炎上を「戦略」とする人間が政治の場にいること自体が、日本の民主主義に対する重大な脅威であり、国としての恥です。
こんな者たちが二度と政治の舞台に戻ってこないようにするためにも、私たちは政治から目を背けてはなりません。関心を持ち、声を上げ、正しい情報と正義を守ることこそ、民主主義を支える私たち一人ひとりの責任です。
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