<この記事で分かること>
- 新藤加菜が「帰化人」への差別的発言を繰り返しながらも、自身ではそれを差別と認識していないこと
- 「帰化人」を「日本人」と区別すること自体が「すべて国民は法の下に平等である」という憲法に反する差別であること。
- 出自だけで「応援できない」と言いながら「出自をオープンにして堂々と戦え」と求める新藤加菜の主張が、論理的に矛盾していること
- 新藤加菜の発言や姿勢が、民主主義社会において容認されるべきでない差別主義に基づいていること
- 公職にある人物の差別的言動は、日本の社会全体に対して深刻な悪影響を与えるものであること
- 新藤加菜が公人完全失格の差別主義者であること。
↓自身の差別的言動を差別と認識することさえできず、その発言を糾弾する者を逆に差別主義者認定する新藤加菜。差別がこれほど「当たり前」すぎて差別だと認識さえできないような人物を公人にしておくのは民主主義の脅威であり、日本の恥である
「当たりまえ」すぎて差別を差別と認識できない新藤加菜
新藤加菜による「帰化人」に対する差別的な発言は、これまで繰り返し紹介してきました。
しかし本人には、それが差別であるという最低限の認識すらありません。それは、新藤加菜の中で差別があまりにも“当たり前”の感覚として根づいてしまっているからです。こうした無自覚な差別意識こそが、最も根深く、最も危険だと言えます。
黒人に選挙権が与えられていなかった時代、多くの白人はそれを差別だなんて思っていなかったことでしょう。それは彼等にとってそれが“当たり前”のことであったからです。新藤加菜が自身の帰化人に対する言動を差別だと認識できないのもそれと同じです。
鏡を見るべきは新藤加菜である
新藤加菜は、自身の「帰化人」に対する差別発言に対する批判に対して、次のように開き直る発言をしました。

>>日本人は出自で人を差別する民族ではありません。
>>帰化人という言葉に違和感を抱いたり、
>>出自について問われただけで差別だと捉えるのは、
>>むしろご自身の中に差別意識が潜んでいるからでは?
>>どうか一度、鏡をご覧になってください。
>>本当に差別しているのは誰なのか、自問してみてください。
出た! 差別主義者の典型的なセリフ「差別って言ってる奴が差別だ」!
差別を指摘した人こそが差別的であるという、典型的な責任転嫁の論理です。しかしその言葉は、そのまま新藤加菜に返すべきものです。鏡を見るべきは、新藤加菜自身です。
「日本人は出自で人を差別する民族ではありません」と言っていますが、確かに「日本人」という「民族」はそうかもしれません。しかし、新藤加菜という個人は、「帰化人」を「日本人」と明確に区別し、「日本人」とは違う異質な存在として扱っています。これこそ差別であり、そんなこともわからない新藤加菜に公人の資質は完全にゼロです。
よくもまあ、自分が差別しておきながら、差別を指摘する方が差別主義者だなんて言えるものです。
「関西人」に置き換えるとこうなる
新藤加菜のこの発言に対し、支持者がこんなことを言っていました。

>>この方の理論に当てはめると「関西人」とかも差別になるんでしょうね? 🤔
「帰化人」と呼ぶのは「関西人」と呼ぶのと同じで差別ではない、と言いたいのでしょうが、実際に新藤加菜の「帰化人」発言を「関西人」に置き換えれば、どれだけ差別的な最低の発言であるか、すぐにお分かりいただけるでしょう。新藤の「帰化人」発言を「関西人」に置き換えるとこのようになります。
「反日の関西人一世!」
「反日の関西人一世が立候補できてしまうのはおかしい」
「反日の関西人一世が帰化取り消し(=国籍の剥奪)すらされないのはおかしい」


「熱海市長選挙に立候補予定の関西人一世が反日発言を繰り返しています」
「関西人一世の立候補について議論されることを望みます。」

「関西人の公職者が『日本人ファースト』を訴えていて違和感」

「関西人一世が立候補すること自体には賛成。
しかし帰化の要件が易しいこと、スパイ防止法など必要な法整備がなされていないことを鑑みると、現状では関西人一世の方は応援できないな。
関西人であることを隠して国会議員に立候補することは断固して反対だが、日本には該当する国会議員が多すぎる…。」

「関西人一世であることを隠したまま立候補できるのがおかしな話です」

「関西人一世が関西出身である事実を隠して立候補できることはおかしいと以前より指摘しています」

「関西人差別ではなく区別です。
「具体的には関西人3世まではそのことをオープンにして行うべきだと言うのが私の考えです」

「怪しい関西人と政党組んでるの注視」
「関西人の立候補問題が非常にセンシティブであるとわかっていたのに自ら発信しなかった6年間の落ち度。謗りは免れません。」

「関西人の政治参加には割と肯定的な立場なんですよ😉」
どう見たって差別ですね。
「関西人の政治参加には割と肯定的な立場」って、何様のつもりなんですかね? 関西人が政治参加するのは誰にも許可を取る必要などない当たり前の権利です。それを上から目線で「割と肯定的な立場」とか、何を言っているのやら。「本来政治は『日本人』が行うべきだが、『関西人』も政治参加したければ、私たちの許可する範囲内でなら参加していいぞ」という傲慢な発言です。「帰化人」を関西人」に置き換えると、新藤加菜の発言がどれだけ傲慢で差別的なものかよくわかりますね。
さらに「関西人差別ではなく区別」などという主張も矛盾甚だしい。同じ日本人でありながら、「関西人」というだけで他の日本人と区別すること自体が、著しく不当です。不当な区別こそが差別と呼ばれるのですから、差別以外の何物でもありません。
「関西人」という出自だけで、言論の自由を制限し、「反日」のレッテルを貼り、国籍の剥奪を主張し、スパイ扱いし、「応援できない」「違和感がある」などと語り、その立候補が「センシティブな問題」だと言い、さらに「関西人であることを公表しないのは落ち度であり、謗りは免れない」などと述べたとしたら、誰がどう見ても、100%明確な「出自による差別」であると断言せざるを得ません。
すべての国民は法の下に平等である以上、選挙において出身や出自によって人を区別することは、それ自体が明白な差別です。
新藤加菜は、「帰化人」というだけでスパイの可能性を疑い、「応援できない」と言い、その立候補は「センシティブな問題」だと言います。これらの発言は、出自によって人物評価を決めつけ、政治参加を制限しようとするものであり、紛れもなく出自による差別でしかありません。
そのような偏見に満ちた立場で、「帰化人であることを隠すな」「帰化人三世まではそのことをオープンにすべきだ」などと主張するのは、極めて矛盾に満ちた態度だと言わざるを得ません。「帰化人は応援できない」と発言する一方で、「帰化人であることを明かして堂々と戦え」などと求める姿勢は、論理的に破綻しています。
「帰化人」という出自だけで「応援できない」と言っておきながら、「政治家は政策や理念といった中身で評価されるべきだ」などと語るのは、あまりにも不誠実で不健全な主張です。さらにそのうえで、「出自や国籍を含むバックグラウンドを明らかにすべきだ」と述べることは、差別的矛盾の極みであり、聞くに堪えません。
新藤加菜は、自身の発言や行動が出自による差別であることを認識すらできないのです。そのような偏見を当然のことと考えている姿勢こそが差別なのです。
新藤加菜のような差別主義者は日本の民主主義の敵である
差別を差別とすら認識できないほど差別が「当たり前」のものになってしまっている新藤加菜のような人間は、決して公的な立場に就くべきではありません。民主国家において、そのような人間の存在は有害でしかなく、公共に対して何一つ建設的な価値をもたらしません。
そもそも新藤加菜は、「チョン」「支那」「朝鮮人は私に話しかけるな」などという、あまりに露骨で侮蔑的な言葉を平然と使う人物です。このような発言を繰り返しながら、「差別主義者ではない」と主張すること自体、あまりに恥知らずであり、社会的良識の欠如を物語っています。
新藤加菜のような差別主義者を、公的な立場に置くことは断じて許されることではありません。このような人物が公職に就いているという事実そのものが、日本にとって大きな恥であり、深刻な害です。二度と同じ過ちが繰り返されぬよう、私たちは差別を見過ごすことなく、厳しく批判し続けていかねばなりません。




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